図書館の図を[囗+ト]と書く略字があるが、韓国にも似た略字があったのを見つけた。1964年の「仁川市統計年報」(韓国国会図書館蔵)所載の管内図、図の字が「囗+도」だ
![図書館の図を[囗+ト]と書く略字があるが、韓国にも似た略字があったのを見つけた。1964年の「仁川市統計年報」(韓国国会図書館蔵)所載の管内図、図の字が「囗+도」だ](https://pbs.twimg.com/media/EFzzqE0VAAAp710.jpg)
昭和6年に第十九銀行と六十三銀行が合併し、お互いのナンバーを足して「八十二銀行」と名付けたという話は有名だが、同じようなネーミングの銀行は過去にもうひとつあった。 大正7年に、四十銀行と四十一銀行が合併し「八十一銀行」を名乗っていたのである。この銀行は現存しない

明治43年の「青森県実業家案内」に載っていた足駄(高下駄)の広告。「ヤシクテチヨイ」と方言らしき発音のまま表記してあるのがしみじみと趣き深い。絵の描き方もかわいい

昭和10年の「大日本神社大鑑 北海道樺太版」(国立国会図書館蔵)という資料を見つけた。樺太、野田町にあった野田神社の社紋が掲載写真から確認できた。武田菱に「の」を重ねた珍しい図案だったようだ

かつて相模陸軍造兵廠の北側丘陵には「戦車道路」というのが設けられており、今でも一部が普通の道になって残っているが、実は由木村や多摩村にまでまたがる計画だったことを知った。 もし実現していれば淵野辺からピューロランドの裏あたりまで戦車などが行って帰ってくる試験走行路となっていた
