かつてイラクとサウジアラビアの間には、中立地帯が設けられていた。 元々、アラビア半島の大部分は砂漠のため、正確な国境線はなかった。 しかし、第一次世界大戦後にイギリスが強引に国境線画定を進めたため、多くの場所で国境線が引かれるようになったが、このように中立地帯として残る例もあった。
現在紛争が起こっているティベスティ山地を中心とする地域は、トゥーブー人の居住地域であり、ニジェールからチャド、リビアに広く分布し、南部のダッサ、北部のテダの2つの大きなグループに分けられるほか、50以上の部族が存在している。しかし、植民地化の流れにより3カ国に分断されてしまった。
南米ではインカ帝国が有名であるが、現在のコロンビアのあたりの地域には「ムイスカ連邦」という国が存在していた。ムイスカ連邦は、フンザ、バカタを中心として、カシケ(首長)による諸国家が集まり、形成されていた。 エル・ドラード伝説は有名であるが、ムイスカが起源とされている。
ムイスカは独自の数字を持っていた。独自の暦(ムイスカ暦)も持ち、日を太陽で、月を月で数えていた。また、一年間という概念も三種類ほどあった。 インカとは違い、大規模な石造建造物は発達せず、粘土や木材を中心とした建造物が多かったのだそう。 そんなムイスカも、スペインの征服で滅亡した。
世界の都市の今と昔
イギリスもフランスも大分鉄道が減ったなあ
戦前の近畿地方の電力事業者の地図を見ると、ちゃっかり延暦寺がいるのが面白すぎる
アフリカの王国の文化には興味深いものが多い。 その中で面白いものを一つ。 レレー(現チャド)のマウンダン王国である。 マウンダンの王は、「神聖な王」とされ、や干ばつを起こす力があると信じられていた。 最大の特徴は、王が一定の統治期間の間に自然死しなければ、王が処刑されることである。
この物騒な世の中でもピストルがあれば安心して居られます
昔の広告、めちゃくちゃ過ぎて好き
アイヌ民族、昔からわりと好きな少数民族で、ワイが少数民族好きになったきっかけでもあるのだが、その系統は謎に包まれている。 樺太アイヌと北海道アイヌは異なる文化を持ってたり、北海道アイヌの中でも下画像のように地域別に集団が分かれていたりしていた。
中国とかヒマラヤの山岳地帯によくあるこういう道すこ