今ではアンゴラの母と呼ばれているンジンガ女王は、かつてアンゴラにあったンドンゴ王国・マタンバ王国の女王であった。 ンジンガ女王を見下していたポルトガル人は女王のために椅子を用意しなかった。しかし、側近が代わりに椅子になることにより、対等な立場で交渉に望んだという逸話を持っている。
なぜこのようなことが起こったのだろう? そもそも、元々ベチュアナランドは2つの地域から構成されていた。南部は英領ベチュアナランドという植民地、北部はベチュアナランド保護領とそれぞれ別の行政体であった。 南部の英領ベチュアナランドは、ケープ植民地に組み込まれ南アフリカの一部となる。
世界の都市の今と昔
イギリスもフランスも大分鉄道が減ったなあ
戦前の近畿地方の電力事業者の地図を見ると、ちゃっかり延暦寺がいるのが面白すぎる
アフリカの王国の文化には興味深いものが多い。 その中で面白いものを一つ。 レレー(現チャド)のマウンダン王国である。 マウンダンの王は、「神聖な王」とされ、や干ばつを起こす力があると信じられていた。 最大の特徴は、王が一定の統治期間の間に自然死しなければ、王が処刑されることである。
この物騒な世の中でもピストルがあれば安心して居られます
昔の広告、めちゃくちゃ過ぎて好き
アイヌ民族、昔からわりと好きな少数民族で、ワイが少数民族好きになったきっかけでもあるのだが、その系統は謎に包まれている。 樺太アイヌと北海道アイヌは異なる文化を持ってたり、北海道アイヌの中でも下画像のように地域別に集団が分かれていたりしていた。
中国とかヒマラヤの山岳地帯によくあるこういう道すこ