魔物ハンター妖子『遠き呼び声』 ここで妖子は終わると思ってた。 後日、漫画版の妖子を描く事になった時、必ずここへ帰って来ようと決めていた。 https://t.co/CEwhHtIF2Q
予算無いってはずなのに、 エンディング用に新曲。 それにキッチリプログラマーさんが、音と絵と合わして下さって。 サビ直前の「三枚振り向き」なんて抜群のタイミング。 直ぐに白くフェードアウト。 【ようやってくれた!!】って、涙が止まらなかった。
アオバのような「毎回読み切り連作」の場合、基本キャラクターはその1回しか出て来ない。 その回を描くための『キャラクター表』を描くが、これは自分で確認するためで、人に見せるものじゃない。 その回が終わったら捨ててしまう事もある。 何の話のキャラクターか分かるかなー(^_^;)
昔から「アニメ絵本って何?」な疑問は聞く。 アニメ化されたものの書籍化じゃないし。 あれは… あれはねー 【アニメ絵の 本】と考えればいいんだ。 この本が作られた時代 【アニメ絵=セル画の絵】だからね。 当然、これらは全てセル画で作られた。 デジタル彩色の概年はまだ無い
もう10年近く前になるが、ドラえもんのキャラがキャスト一新に合わせてリニューアルされた時の劇場版 「のび太と新・鉄人兵団」は、まさに【シンプルだけど物足りなさを感じない】に新たな地平を見せてくれた。 いやもう、このしずかちゃんの色っぽさは【線の引き方】も合わせて犯罪級。
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。