いつか大石まさる先生と対決するために、密かに仕込んであったマイティ・フロッグ。 タミヤはこの往年の名車を復刻してくれてるので、今でも割と手に入れやすい。 見た目も殆ど変わらない。 一箇所を除いては。 だがそここそ、僕が一番気になる所だ。 だって一番目立つ所だもん。
つまりココ! 1984年のオリジナルが、フロントノーズに【赤丸のNGK】だったのが、復刻版は【赤丸のタミヤ・レーシング】なのだ。 ええ?そこ気にする所? 気にするんじゃい! オッサンはっ! まあ色々と大人の事情があったのだろう。 パッと見、印象は変わらないようにしてくれてるが…
で、諦めてた所にラジ友から「これ、使えるんじゃね?」と情報を頂いた。 当時の汎用ステッカーだけど…あ! あああ! ソッコーで入手! 祈る思いで、届いたのを合わせてみると… おお神よ! ピッタリだ! つーかコレどう考えても 「ここ専用」でしょ( TДT) ピンクのオッサンも嬉しそうだ。
これが1970年頃タミヤから出た時は欲しかったなあ。 この頃のタミヤはコレとかDAXホンダのボディーは「キャンディーカラーの塗装済み」だった。 あれがどれだけ本物感を与えていたか。
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。