3/2 ここで「裂けた所を切り捨てて、両端を固く結ぶ」ってのも大事なポイントです。 ゴムはこうやって縛るとそれ自体の反発力で栓が出来る。 完全じゃなくても、時々空気継ぎ足せば大丈夫。 これも「ポンプがあれば」てすけど。
④ゲームに関してはメガドラもPCエンジンも、僕とゲームスタッフとの共同企画&開発 グラフィック原画は全て僕。 ⑤漫画版は完全に僕のオリジナル 企画 ストーリー共に今までと別物。 分かりやすくするとこんなかな?
ああもう。 僕は昭和のラジオとかラジカセが大好きなのだが (いや、大流行だった1970年代はそういう少年は全国にいたが) アレもコレもドレも素敵。 でもでもでも【買ってもらえるのはコレだけ】 そんなジレンマはとりあえずカタログ集めに向かう。 ラジカセ知識ばっかり増えたなー。
ハイ! 【二度目の人生アニメーター】 最新話 更新です。 スタジオタクトに入社希望でやって来た、現役中学生の【神埼あづさ】ちゃん。 しかも、作画ではなく制作進行を希望とか。 しかし現実はキビシーのだ。 さて、どうなるどうなる?
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。