えーと つまり… 僕の【なるべくシンプルで線の少ない、でも可愛い少女】なんて刷り込みは この時代の【アニメ石森ヒロイン】が基礎なのだろう。 もう抗ってもしょうがない。 そういう事にしといて。
だから僕ら絵描きも「どこまでが実現可能か?」が分からないので、試行錯誤の連続でした。 でも【生まれたてのメディアの仕事】というのは、とても危なっかしくて、ドキドキするんですよ。 初めて自分の絵がドット絵になった時は感動しました。
アプリの内容が変わって「次回更新は〜月〜日」って表示されたませんが、【二度目の人生アニメーター】 恐らく今夜12時に更新するはず。 「はず」です。 頼むよー( TДT)( TДT)( TДT)
はい! 【二度目の人生アニメーター】最新話 マンガDX+アプリで更新してます。 お付き合いしてる早瀬ユミカさんのお父さんの所へご挨拶に行くはずが、多田くん大遅刻! これはこれからの人生にどう響くのか!
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。