僕はアオバ自転車店の連載を始めた時に、二つの基準を決めた。 一つは「自転車マニアでないと分からない話は描かない」 二つ目は「小学三年生の知力があれば理解できるものにする」 へこ難しい比喩表現や、妙に含みを持たせた会話はしない。 これは21年経った今でも変えていない。
ケーブルTVに古いサンライズの作品が色々と入ってた。 ザンボット3、ダイターン3、Z 、ZZ、エルガイム、ダンバイン、ダグラム。 しっかしまあ、この頃のサンライズ作品は…… 粗いなッ あの当時でも感じてたけど、やっぱり粗い。 前原さんのセリフに嘘は無い。
【二度目人生アニメーター】では、こういう「当時、ロボットアニメが業界内でどう言う印象だったか」は、ストレートに描いた。 粗製乱造が常識化してたからね。 お客さんがどうかでは無い。 作り手としてどうかだ。 そして…… この流れなのだ。
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。