つまりこの今野くんのセリフ「鳥肌が立った」に「気持ち悪かったのか?」と、取る人がどんだけいるかってことです。 「総毛立った」だとしても、詳しく調べると「恐怖やおぞましさを感じた」になる。 ムズカシイなっ(TдT)
右のが【電光超特急ヒカリアン】の未発売カレンダー用セル画のラフ。 2003年の仕事ですから、アオバが始まって4年目。 カザンは終わってました。 アニメーター宮尾岳に戻っての仕事は、戸惑いながらも面白かった。 「セル画にすることを前提とした絵」の時は、瞬時にアニメーター脳が起動。
ヒカリ1943年の、某巡洋艦の甲板にタイムスリップした僕は船員たちに 「70年後の日本では、この艦はこんな女神様として崇められております」 「素晴らしい未来なのだな 70年後の日本は」 「で、大破するとこうなりまして」 ざわざわざわ 上官「誰だ!いま大破しちゃおうかなどと考えた奴は!」
見事な分かりやすい分析。 同時に、これほどゾーン分けがなされてない時代の【セラムンの太もも】が、いかにお茶の間では反則的だったかを思い知る。 亜美ちゃんの「制服姿は細めで真面目なのに、マーキュリー時の太ももズルい」に男の子がクラクラ来てもしょうが無い。 https://t.co/V1SM4LZ6za
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。