〘メイキング〙 リスマチックによるセル画 ①線画 ミリペンによるペン入れ リスマチックフィルムだとこの線が100%出る。この時点で髪の黒ベタは既に入れてある。 ②線画をコピーしてカゲ指定 ③仕上げさんが裏から塗る 上がったセルに、細かいハイライトなどは僕が表から入れて完成。
もう今では作れないが、リスマチックフィルムによるセル画なら 【漫画原稿をそのまま焼いて、1ページ丸ごとセルにする】も可能だ。 どんなペンタッチでもかまわないし、スクリーントーン貼られててもOK アニメのフイルムコミックみたいな漫画も作れたね。
そこから先は貪るように文月今日子先生の漫画を読む。 模写する。 1年間はそんな事ばかりしてた。 文月先生は絵は飛び切りに凄いが、何よりもその構成力。 脚本、コマ割りが天才的にうまい。 画面はとても映画的。 で、背景や小道具(メカまで)手を抜かない。 こんなレベルの高い少女漫画があった。
だからアオバの 母親の存在は描かなかった。ボカシていた。 が、お父さんの事を描くとなったらどうしても奥さん(アオバの母)は避けて通れなかった。 お父さんの過去を描くには家族を描かねば。 で、お母さんとおじいさんを同時に出した。
ワカバさんと、創作じいちゃんが出てくるのは 単行本2巻のラストだ。 なんとも遅い登場だが、やはり描いて(出して)良かった。 この二人が足されて、やっと「アオバ自転車店」という店がどんな店なのか アオバがどんな子なのか 自分で分かってきた。 作者でも分からなかったんだよ。
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。