インドネシアの若者の「ジャパニーズコミック&アニメへの憧れ」はもの凄く、そのイベントも超満員。 僕はステージで「漫画で自転車を活かすやり方」なんてのを、ホワイトボードに描きまくり。 GAKUMIYAOの海外ファンの子に初めて会ってドキドキした。 (画像はアオバのインドネシア版)
はい! 【二度目の人生アニメーター】マンガDX+アプリで最新話公開しました! ついにOVA『オメガ・エリア』完成間近! そしてそしてそして 【二度目の人生アニメーター】の連載はーーーーーー あと2本でファイナル!! なのです! ジャジャン!!!
【二度目の人生アニメーター】は、連載当初は「5巻くらいでまとまるかな」と思ってた。 描きたいこと描いてたらオーバーしてしまったが、余計な事は描いていない。 どんなラストへ向かうのかは… お楽しみに!
『トキワ荘の青春』を観る。 トキワ荘関連の実写は過去に色々と作られてる。 美術としてのトキワ荘ならば、すごい再現度なのだろう。 だが何か…こう 暗いというか しみったれてる。 この時代は漫画家だけじゃ無く、日本全体が暗かったかというと そんな事はない。
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。