つまり、「ありがとう」のセリフだとしても 12人、それぞれが違うありがとうだ。 この差は、ただの文字データでは見えない。 ましてやそれが「親密度合いで変化する」などは、肉声でないとニュアンスが伝わらない。 スーファミでは出来ない演出だ。 これは相当にアタマがいい企画だ。
日本映画の予告は何故、絶叫するのか ↓ 絶叫するようなシーンがある ↓ そこはきっと面白いシーン ↓ 面白いシーンがあるのは面白い映画 ↓ 面白いに違いない。 漫画の「ドン!」と 「うおおおおおお!」も同じか? イヤ、自分もやってますが(^_^;)
まず、ネーム描くのに時間がかかる 次に、それが通らず直せと言われた時の心と体のダメージが大きい 最後に、ネームで情熱傾け過ぎると、ペン入れまで情熱が持たない。 線が死ぬかも。 故に僕はネームはあまり描き込まない。 「僕は」だ。 描き込まないと不安な人もいるので、それはお好きに。
僕が22歳の時に買ったホンダZは、中古の1974年 後期型水冷のGSS ホントは初期型、空冷エンジンのGSに乗りたかったが、もうその頃でも空冷Zはタマ数がほとんど無かった。 だからあの頃の夢を 【アオバ自転車店】内の黒ちゃんに乗ってもらってる。
コレはラフだけ出して、最終的にセル画まで描いたのかが不明瞭だったが、どうやら描いたみたいだ。 その証拠は【この絵だけ詩織のスカートの中に白いスリップが見える】からだ。他で見た事無い。 こんなオッサンくさい事、オレしかやんねえ(TдT)
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。