アオバ自転車店シリーズは、 第一期 【並木橋通りアオバ自転車店 全20巻】 第二期 【アオバ自転車店 全20巻】 第三期 【アオバ自転車店へようこそ! 全20巻】 第四期 【アオバ自転車店といこうよ!】 これが最新で11巻目です。 累計71巻ですが、基本 【どこから読んでも楽しめる読み切り連作】です
だってアニメーターの仕事は、どんな絵柄も取り込んで描く事だろ。 じゃあなんで「昔の自分の絵」が描けない。 やはりそれは【現在の手癖で描いてる】からだよな。 だから、冷静に振り返って もう一度ちゃんと「あの頃の妖子」を描いてみようと。 絵だけで無く キャラクターそのものを。
1996年 全一巻の漫画として描きました。 他のどの妖子とも違う 【魔狩人(マガリビト)の妖子】です。 正義のためではなく 誰かのためでもなく 剣をふるわなくてはならない妖子を描きたかった。
でないと、妖子は 「そこに正義や使命がある限り剣をふるう娘」になる。 魔物退治が害虫駆除と変わらないじゃないか。 あれこれ悩んで悩んで ライゴが生まれて あんな漫画になりました。
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。