BTWの「馬鹿しか魔法にかからないならアタシは魔法をかける側が良い」って台詞でも思ったけど、何事も自分が主体になって自分の考えや姿勢次第で、運が悪かったとか仕方ないだとか分からないだとかで済ませる受け身の姿勢じゃ駄目っていうのはブリ一チの運命とか"心"の話でも共通してる気がする。
自分の考える正しさを他人にも正しい事として認めてもらおうとか自分以外を正そうとか考えた瞬間から自分の考える事が他人に囚われる事になって自分を見失うって、チェンソ一マンはそういう当たり前の筈が意識から抜け落ちがちって事を何気ないシ一ンで何気なく落とし込んで何気なく意識させてくる。
テッサイさん、うらはらきすけの友人としてサポートし続けてるあたり昔馴染みとは言え相当な人格者である事が窺えるのは間違いないんだけど、チャン一の修行の時に雨の一撃で出てこないチャン一の事を「…死にましたか?」ってさらっと言ってるから割とバグってるところもある。
うらはらは本人の性質にしては夜一さんといいテッサイさんといい周囲の人間に恵まれ過ぎだし、報連相出来なさ過ぎるうらはらに対しても二人が他以上に機微に聡いからずっとサポートし続けられてるんだろうな。