失明および収監期間について 1886年に始まった硫黄山外役は、相次ぐ囚人の体調不良や死亡によって10年後の1896年に中止になります。 ゴールデンカムイファンブックによると刺青の入った囚人が脱走したのは1903年ごろ。 恐らく釧路集治監にいたトニさんは最低でも7年は失明していたことになります。
『日本男子物語』「網走囚徒」章より 硫黄山で働く囚人たちはその過酷さを看守へ訴えるも、「囚人の全滅がお上からの命令だ」とせせら笑い取り合ってもらえません。また硫黄山では使い物にならない囚人は首だけ出して生き埋めにされたという証言もあります。