ちなみにこの「ぐらこん4」には 神江里見先生のデビュー作「星は流れて…」24頁も掲載されていますが 実は神江先生は河あきら先生と同年二日違い、1950年7月6日生まれ その若さが信じられない絵の上手さ
7月11日は こやま基夫先生の誕生日 「おざなりダンジョン」より 当時話題になった台詞「やもうえん」(コミックNORA1991年8月号掲載) 同年10月号に「(コミックスでも)たぶん変わらないのでは」と記されていて、確かにそう聞こ…
ちなみに、コミックNORA10月号に「(こやま先生の意向として)あれは(間違いではなく)敢えてそうしたんです」と書かれていた通り、その後の1992年5月号掲載回にも再び「やもうえん」登場 こちらは単行本では「やむおえん」になってい…
芳崎:「つれていって」が佳境に入った頃は、読むのが辛かったです。話はどんどん暗くなり、カオスに向かい袋小路に入って行く。 そしてついにアンジーがグレアムに銃口を向ける。ここに至って私は「もう終わった方が良いのでは」「早く終わって皆…
芳崎:その後私は、2000年から「金魚屋古書店」の最初のシリーズを描き始めその後掲載誌が変わり、2011年に東日本大震災が起きました。それで当時、三原先生の「Die Energie 5.2 11.8」が話題になったんですね
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔