#タイムラインをあたかも昭和にする 2019年11月6日発売グランドジャンプ掲載の 「プレイボール2」 前作を引き継ぎ昭和53年が舞台 まだ携帯電話もインターネットもCDもなかった時代 当時の最先端機器、まだまだ高嶺の花だった「ビデオデッキ」について5ページに渡り描かれています
#タイムラインをあたかも昭和にするバロン:ところが編集部も引かない、バロンの意味とか、バロンが付いてる有名人とか、何となく納得させられて…吉本浩二さんの「ルーザーズ」に詳しく描かれていますが、帰って行く私を編集部の面々が「また戻って来るのでは」と窓から見てる、それほどの剣幕だった。今となっては良い思い出だけれどね
綿引:そしていよいよ「柔侠伝」開始ですが、漫画アクション1970年6月11号、フルカラー1頁+二色カラー8頁と、これはかなり期待されていたのでは? バロン:どうだろう、なかなかヒット作が出ないので、業を煮やした編集から「社会的な作品を描いたらどうか」とは言われていましたね。
綿引:格闘ものなのに歴史が描かれている バロン:テーマは「男の生き様」で一貫しているんです。ただ明治→昭和と続けば歴史を描かざるを得ず、柔道から離れて行きました 綿引:「昭和柔侠伝」では太平洋戦争 バロン:一口で言えば戦争ものだよね。まさか自分がそれを描くとは思っていなかったけれど
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔