本日(2019年11月16日)の NHK・Eテレ「ノージーのひらめき工房」のライブドローイング 黒田硫黄先生が御出演されていました お題は「げんきな顔の描き方」 再放送は 11月18日(月)10:00~ 11月20日(水)15:45~ の予定です
【週刊少年サンデー】 1981年は下記方々の住所掲載あり 古谷三敏、楳図かずお、やまさき拓味(スタジオ・シップ)、梶原一騎、史村翔 古谷先生住所の最終掲載が1981年12月9日号(連載は翌年以降も継続) 1982年以降は梶原先生のみ住所掲載が残り最終号は1983年6月8日号(逮捕に伴い6月15日号で打切り)
【少年KING】 少年キング休刊号(1982年5月14日号)に望月三起也、藤子不二雄、石森章太郎先生住所掲載あり 少年KING1983年1月14日号に藤子先生住所、その後は望月先生のみ 望月先生住所最終掲載は1985年9月27日号(「Superサブ」最終回) 望月先生は翌年「リング99」を連載するも編集部気付に
刑事No.39(1964年6月13日号)掲載 「その背景」 36ページ 石森章太郎 スタジオ0作品 と記されていますが 実際に絵を描かれたのは何方だったのでしょうか
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔