#同じ人が描いたとは思えない絵を貼る 末永史先生の作風変化 1968年~1970年 1972年~1973年頃(安部慎一先生の影響が顕著) 1984年~1987年頃 2012年 いとう絢子名義で「まんが笑ルーム」等に発表したと言う作品を、未だ発見できていません
#同じ人が描いたとは思えない絵を貼る今日で「阪神大震災」から25年 「マイケル教えて!被災猫応援の教科書」 (2011年11月発行) 東日本大震災での、多くの猫&飼い主の不幸を受けて内容が整えられたものの もともとは、阪神大震災での、佐藤晴美先生の体験をベースに「愛猫と震災をどう生き抜くか」をテーマにスタートした企画本
1月21日は #ライバルが手を結ぶ日 須波光二(カオス)と大郷錠 (手塚治虫「未来人カオス」)
#ライバルが手を結ぶ日まついなつき先生のデビュー作が何か については皆さん異論ありでしょうけれど 商業誌に初めて全ページ掲載された という基準で言えば 「狛江区立鎌切高校」 だっくす(ぱふの前身)1978年12月号ギャグ部門佳作 全11ページ(縮小サイズではありますが)掲載
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔