今日で「阪神大震災」から25年 「マイケル教えて!被災猫応援の教科書」 (2011年11月発行) 東日本大震災での、多くの猫&飼い主の不幸を受けて内容が整えられたものの もともとは、阪神大震災での、佐藤晴美先生の体験をベースに「愛猫と震災をどう生き抜くか」をテーマにスタートした企画本
まついなつき先生のデビュー作が何か については皆さん異論ありでしょうけれど 商業誌に初めて全ページ掲載された という基準で言えば 「狛江区立鎌切高校」 だっくす(ぱふの前身)1978年12月号ギャグ部門佳作 全11ページ(縮小サイズではありますが)掲載
グランド・コミックス・スクエア第1号 COMグランドコミックス「サマーフィールド」に挟まれている小冊子で内容からこの本限定のようです COM論客の文章等力が入っていて「読者との交歓の場にしたい」との文もありますが、独立刊行物ではなく古書店に流通し難く詳細不明 第2号以降はあったのでしょうか
綿引:今日は「スマッシュをきめろ!」で少女漫画にスポ根を初めて導入、その後レディースコミックでもご活躍され、京都造形芸術大学マンガ学科長も務められた志賀公江先生にお越し頂きました。 先生は「墨汁一滴」で有名な東日本漫画研究会の女子部御出身だそうですね
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔