最中義裕@monakayoshihiro

    斎藤:真崎さんが青年誌でデビューした時、丸山さんから「これが峠あかねの本業なんだ」って聞かされ驚いたんだけれど、頁数があまり貰えなかったのかコマ割りがやたら小さくて複雑なんだよね。本人はもっと(頁数を貰い)遊びたかったんだろうけれど、表現として全然違う「新しいまんが」だったんです

    斎藤:真崎さんが青年誌でデビューした時、丸山さんから「これが峠あかねの本業なんだ」って聞かされ驚いたんだけれど、頁数があまり貰えなかったのかコマ割りがやたら小さくて複雑なんだよね。本人はもっと(頁数を貰い)遊びたかったんだろうけれど、表現として全然違う「新しいまんが」だったんです
    144年前
    最中義裕@monakayoshihiro

    真崎:当時の劇画の「劇」はリアルな絵という意味だったけれど、僕にとっての「劇」はドラマの核なんですよ。僕はアニメ出身なのでコマ割りで全部語れるんです。それで、画面自体でどれだけ語れるかではなく、コマとコマの間に「どこまで隠せるか」そちらの方に腐心しましたね

    真崎:当時の劇画の「劇」はリアルな絵という意味だったけれど、僕にとっての「劇」はドラマの核なんですよ。僕はアニメ出身なのでコマ割りで全部語れるんです。それで、画面自体でどれだけ語れるかではなく、コマとコマの間に「どこまで隠せるか」そちらの方に腐心しましたね
    374年前
    最中義裕@monakayoshihiro

    霜月:真崎さんは峠あかね名義でCOMで「ぐら・こん」や「まんが月評」をされてましたが、評論家・峠あかねとまんが家・真崎守の間に葛藤はなかったのですか 真崎:僕は最初はまんがは描いてません。途中から描くようになった時点で評論はすっぱり捨てました。同時にやるのはペテン氏になると思ったから

    霜月:真崎さんは峠あかね名義でCOMで「ぐら・こん」や「まんが月評」をされてましたが、評論家・峠あかねとまんが家・真崎守の間に葛藤はなかったのですか
真崎:僕は最初はまんがは描いてません。途中から描くようになった時点で評論はすっぱり捨てました。同時にやるのはペテン氏になると思ったから
    霜月:真崎さんは峠あかね名義でCOMで「ぐら・こん」や「まんが月評」をされてましたが、評論家・峠あかねとまんが家・真崎守の間に葛藤はなかったのですか
真崎:僕は最初はまんがは描いてません。途中から描くようになった時点で評論はすっぱり捨てました。同時にやるのはペテン氏になると思ったから
    374年前
    最中義裕@monakayoshihiro

    真崎:もう一つは、新宿に「コボタン」って喫茶店があって、そこのマスターが「まんが喫茶を始めたいけれど置くまんががない」って言うので、定期的に展示会を開いて、そこもやはりまんがを語る若者たちの集いの場になりましたね。僕らの若い頃はそんなことはなかったですからね

    真崎:もう一つは、新宿に「コボタン」って喫茶店があって、そこのマスターが「まんが喫茶を始めたいけれど置くまんががない」って言うので、定期的に展示会を開いて、そこもやはりまんがを語る若者たちの集いの場になりましたね。僕らの若い頃はそんなことはなかったですからね
    374年前
    最中義裕@monakayoshihiro

    真崎:それでも当時熱心な読者がいて、夏休みとかに訪ねてきて今後の展開を訊いたりする。この作品を描いたことは不思議な体験でした。 不思議な体験と言えば最近もう一つ、それは僕が昔、学研の通販雑誌に描いた飛行機の歴史のまんが(「ホモ・ウォラント」のこと)について

    真崎:それでも当時熱心な読者がいて、夏休みとかに訪ねてきて今後の展開を訊いたりする。この作品を描いたことは不思議な体験でした。
不思議な体験と言えば最近もう一つ、それは僕が昔、学研の通販雑誌に描いた飛行機の歴史のまんが(「ホモ・ウォラント」のこと)について
    364年前

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