ジョージ秋山先生の「銭ゲバ」は、貧しさ故に親しき人を殺めた主人公が「金の力を信じ、悪事を繰り返しながら、のし上がって行く」様を描きつつ「人の幸福とは何か」を問うた傑作ですが 当時の読者に「サディズム」の毒を見せた作品でもありました。 1970年の少年誌(サンデー)に描いた衝撃シーン
平成時代の若者との会話 若者:#ジョージ秋山 の「ザ・ムーン」って、話の流れが場当たり的ですよね 私:当時の週刊連載は毎回山場を作るため、単行本化後に通読する時のバランスは考えてなかったんだ 若者:正義感がクサ過ぎませんか 私:それがクサくなく、過剰で濃密な情念が快感の時代だったんだ
#ジョージ秋山綿引:上田としこ先生の「フイチンさん」を読まれたのも小学生の頃ですか 村上:「フイチンさん」との出会いは小学校2,3年の頃、雑誌連載の終りの方でしたね。当時、戦争や歴史のことを知らなかった子供の自分にとって「こんな国際社会があったのか」みたいな感じでした
綿引:昭和39年、TVまんが「鉄腕アトム」が放送開始されます 村上:「オリンピックが東京に来た」と「鉄腕アトム放送開始」は、自分の中でほぼ同じショックとして記憶されています。今見ると(鉄腕アトムは)そんなに動いていないけれど、当時はすごく動いているように見えました
綿引:そして、COMに投稿を始めた 村上:COMに最初に投稿した「海のことば」が佳作に入って、次の「サーカス」が入選、それで「もう一作描いてくれ」と依頼されて描いたのが「蟻の住む町」だったんですけれど、休刊とか色々あって結局載りませんでした
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔