「いやいや、台詞が横書きだから(漫画読みなら)すぐ判るはず」 と思うかもしれませんが その昔、大学漫研の後輩が、星野之宣先生の単行本「サーベルタイガー」で「冬の惑星」を読み (大きな注意書きあり、台詞も横書)左読みに気付かず、筋書を理解できず、何回も読返したということがあったのです
「インド・ネパール精神世界の旅」ポスター #真崎守 第8回と月日だけで実施年が不明だったのですが (第5回が1976年でポスターは横尾忠則氏) 宝島1977年8月号に全く同じ文言の広告を発見 (同号掲載「ボヘミ庵通信」(今上武蘭人)に真崎先生の挿絵あり) 以上より、ポスター発行は1977年と推測
#真崎守今号(2020年11月号)から 「きらら」がWEB雑誌に (しかも無料で読めるって、それで良いのだろうか?) 大島弓子先生の連載「キャットニップ」第103回 WEB雑誌になっても今まで通りの描き方の大島先生ですが イマドキの店員が「墨汁」を(店の隅には置いてあるけれど)知らないと言うヒトコマ
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔