#見た人もなにか無言で殺陣をあげる 雑誌掲載時/連作/燃えつきた奴ら/新選組篇完結編/地獄橋の決斗で、高山要三が(伊東甲子太郎斬殺の復讐に燃える)御陵衛士と斬り合っていた場面が ブロンズ社選集「狂乱囃子」では(着物を新選組隊服に変え)脱走する場面に転用されています。 #真崎守
#真崎守#見た人もなにか無言で殺陣をあげる【39年位前の同人誌漫画の情報求む】 当時強く印象に残った(と言う割に記憶が曖昧)同人誌(学漫かも)漫画を記憶を基に再現(創作)しました(全6頁) この基になった作品についての情報をお持ちの方はおられないでしょうか 以下注記 読んだのは1982年か83年 作品・作者・同人誌名全て記憶なし 続く
承前④⑤ 主人公は(今回絵とは異なり)僧侶か修験者だったような(烏帽子は被っていなかった) 母親が餓鬼道に堕ちた理由は記憶になし 食べ物を送った方法も記憶になし 5頁目に描いた落下シーンなし 最後は母親の独白だったが、大ゴマではなく上を向いてもいなかった 続く
承前最終頁 まとめると 餓鬼となった母に食べ物を送ったが、独り占めして遠くに飛ばされた、主人公はその浅ましさを嘆いたが、母の真意は別のところにあった と言う大筋以外は元作品に似ていないかけ離れたビジュアルですが、何か情報がある方がいたらお願いしますと言う無茶苦茶な話ですすみません
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔