「せくさんぶる」 「星のゆれる日」「除夜」等の佳品がなぜ漏れたか、頁数の都合? 因みにこの連作に先立つ「せくさんぶる/第1部&第2部」は、大幅な修正の上「花と修羅」と改題されブロンズ社選集に収録されましたが、話が激変しており(重度のファンならば)雑誌掲載版の一読をお薦めします #真崎守
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「その他作品1966-69年」 「札束(ゼニ)に別れの接吻を」が商業誌デビュー作 「夜に砕ける」「引き裂かれた明日」「愛の廃墟」は笹沢佐保の現代小説のまんが化 #真崎守
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「その他作品1972-79年」 1973-77年は激動の時代が去った後の転換期(怪異路線、心象風景志向、SFへの傾倒等) この時期の重要作品は殆どブロンズ社選集に収録済でお薦めはさほど多くありませんが、「夏弔(なつのとむらい)」は、小池一夫原作としては異色の「語り過ぎない」佳品だと思います #真崎守
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「その他作品1980年以降」 「余花」以外は全てSF作品、「永遠の生 無限の死 夢のやどり」と「キスしてくんなきゃ めざめない!」は同じ世界観&酷似キャラクターによる作品で、これらの続編が描かれなかったのがファンとして残念です #真崎守
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「東京古書会館」で開催中の 『瀬川乃里子 9つの孤独展』 会期ギリギリ(明日が最終日)でようやく観ることが出来ました。 商業ベースに乗らない(←失礼な言い方ですみません)原画展を実現させる関係者各位の熱意と尽力にはただただ感謝あるのみ、本当に頭が下がります。





漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり

#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見

8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも

#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)

定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw

りんたろう「憂国」 漫画パンチ1970年12月22日号 16ページ この時期、虫プロでTVアニメ「ムーミン」のチーフディレクターだった、後のアニメ監督りんたろう先生の珍しい漫画 同年11月の三島事件に触発されたであろう、テロや革命をネタにしたナンセンス仕立てのアメコミ調作品

@h_yuzuki はい、あすな先生は作品タイトルも作者名も全てご自身の手描きだそうですが(漫画家になる前にデザイン会社に勤めていたのでお手の物だったのかも) 編集部が雑誌掲載時に勝手にタイトルを変更した例があり(「流れ星ひとつ」⇒「踊り子人形」)

#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。

今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)

ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔

東大前刺傷事件の高2は(報道によれば)医者になるため東大を目指すも成績不振で自暴自棄になったとか 手塚治虫「ブラックジャック/三者三様」で、高校受験に失敗した少年に加藤清正が掛けた言葉を思い出します 「どうしてそんなに一流校にこだわるんだよ」 「医者になるだけが人生じゃないんだぜ」

2017年11月5日、ブックカフェ二十世紀(神保町)で催された、「みなもと太郎画業50周年記念原画展」最終日のスペシャルトークイベント「みなもと太郎×飯田耕一郎」の聴講リポートをUPさせていただきます。