現在発売中の月刊ミステリーボニータ掲載 酒井美羽先生の「部長鉄野クラウス」 青池先生ご本人が描いたと勘違いしそうな読者が出るかもしれない再現度 そしてもちろんオールスター出演
7月11日は「ラーメンの日」 中沢啓治先生の「何かが起きる!」 週刊少年ジャンプ1970年34号(8月17日号) 79頁読切 主人公はラーメン屋の店員で 原爆犠牲者の悲劇を描いた作品 因みに同じ年のジャンプ10号~22号に (料理漫画の先駆と言われる)望月三起也先生の「突撃ラーメン」も連載されていました
70年安保当時、一部のインテリ漫画読み層から「我らの世代の代弁者」として支持された真崎守先生ですが、ここでは意外と醒めた眼で「この国はどうなっちまったんだ」みたいに描いているのがとても興味深いです (いや勿論、この作品は70年安保より僅かながらも前の作品ではありますが)
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔