→実はこの部分、掲載誌のコスモコミックが1978年12月20日号で7号休刊となり「風漂花」が未完打ち切りになった翌1979年の高二時代4月号に「風の周辺」第一話として発表されています(脱稿サインは79.2となっており、連載時に描いたものとは考え難い)→続く
→そして「風の周辺」は、翌5月号第二話から何の脈絡もなく全く別の現代高校生男女の物語になる謎展開 (5月号以降掲載分は「風の周辺」として真崎守選集19「残照」に収録) 打切りとなった作品(風漂花)の再生産orスピンオフを、別雑誌で試みたものの気が変わり止めたということなのでしょうか?
11月22日は「いい夫婦の日」 「フーテン」第2部 夏の章で まだ大阪にいて虫プロに入る前の真崎守先生から 「永島夫妻は、自分にとって理想の夫婦でした」 と言われる永島慎二(作中名は長暇貧治)先生
12月1日は アニメーター・荒木伸吾先生の忌日 貸本漫画家時代の作品「何も言わなかった少女」 街45号(1960年11月発行)掲載 ほぼ全頁4段横長コマという実験的構成で、全39頁という長編を読ませるよう工夫を凝らした構図選定が素晴らしいです。
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔