せくさんぶる→花と修羅/変更⑫嵯峨野で出会った武芸者 「花と修羅」最終話でキバ紋を「未熟者」と一喝する武芸者を見て「(既に退場している)沖田蒸に良く似ている」と思った方は多いと思いますが 「せくさんぶる」でのこの場面は第1部最終回で、次話から登場する沖田本人の顔見せにも思えます
せくさんぶる→花と修羅/変更⑭石像をめぐるジロと真弓の会話 石像を前に座り考え込んでいるジロを囲み 先生・和尚・真弓・しのぶがその理由についてあれこれ述べる場面は「せくさんぶる」「花と修羅」共通ですが、画像のジロと真弓の絡みは(「花と修羅」では)1頁まるごと消されています #真崎守
#真崎守 めぐる実は、雑誌初出時には本編に組み込まれていました(写真左) しかし並べて見ると(雑誌と単行本では)描かれている線が大分増えています(写真右) 想像するに、単行本収録時の編集で本編から外れ、同時に加筆されたということでしょうか(だからパネルの「単行本カット」という表記は正しいという話)
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔