#ウィングス創刊40周年 今日は、40年前の1982年に「WINGS」が創刊された日 当時の謳い文句は「パワー・アップSFコミックスマガジン」、柴田昌弘先生と聖悠紀先生が2枚看板 「作画グループ」の漫画家が多かったことも話題に(柴田・やまだ紫・奥友志津子先生以外の漫画掲載作家は全員作画グループ?)
#ウィングス創刊40周年#宮谷一彦 先生と(当時の日本人なら誰でも知っている歌)「フランシーヌの場合は」の歌手・新谷のり子の対談記事 ヤングコミック1970年1月13日号掲載 編集部脚色の可能性もありますが、若きラディカル漫画家の自負心が窺える内容です
#宮谷一彦星野:急に動き出すシーンと静寂の交錯(写真①②)こういう展開が印象に残っています。この「布を…」のシーン(写真③)が凄く好きで、騒ぐでもなくそれでいて深刻な事態を伝えている、これは真似できませんでした。畳み掛けるように一家が滅ぶシーン(写真④)も上手いし引き込まれましたね
星野:時間の流れを表現するのに馬車が有効だと感じて、自分が描いた「月夢」でも、時間の流れを車で-大八車ですが-表現しました(写真①) それから「グレンスミスの日記」での海のシーン(写真②)がとても印象に残っていて、小さいコマですが北方の冬の冷たい海を線で表現しています
星野:「日本のいちばん長い日」で縦長コマのヒトラーを描いたのも「グレンスミスの日記」の影響です。 漫画のたった一コマでも、それが何年も記憶に残ることがある、だから漫画は「先生」だと思います。 萩尾:小学校の頃に読んだ漫画のシーンとか良く憶えています、強烈ですよね
漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり
#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見
8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも
#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)
定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw
#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。
今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)
ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔