巨匠いしいひさいち画伯の 「花の雨が降るーROCAエピソード集」 昨日のコミティアに行くことが叶わずKindleで購入 全て新作と言う僥倖


そして第8話 今城隆之(演・中村雅俊)、小野昭一(演・三ツ木清隆)から拍手を浴びた完成原稿ですが 週刊プレイボーイ1974年12月24日号に掲載された、連作・せくさんぶるの「眠りまで」という作品(単行本未収録)そのものです(ただし台詞は変えている模様)




そしてなんと第17話 森田正道は、アパートの同居人たちを登場人物にした漫画で雑誌連載を勝ち取りますが 真崎守先生ではない他の方の原稿に替わっています




どうやらもう #真崎守 先生はこのドラマの仕事とは切れたのだなと思ったら 第22話で、森田正道が朝日(アサヒ?旭?)出版という会社から大先生の代原として「2日で20頁、自由に描いて下さい」と描いた作品で 再び真崎守先生の(貸本時代を模した?)絵が登場します
#真崎守


中山蛙先生のご冥福をお祈りいたします。 写真はCOM1970年11月号掲載のデビュー作「1人と1匹」8頁 東京で暮らす漫画家と猫の友情物語 (友情がテーマの新人競作集で6作品が集まったものの掲載されたのは中山蛙先生と芥真木先生だけでした)





漫画家が若くして亡くなる度に囁かれる「漫画家は早死に」は本当かと思って集計 自殺や事故で早逝したことが公表された方を除く219名の平均値は62.6歳 我が国の平均寿命より大分短い 勿論、公表されていないだけで自殺や事故の方がこの中にいる可能性も、長命の方が私の調査から漏れている可能性もあり

#矢口高雄展 第一期鑑賞 代表作が釣り漫画でキャラ容姿がマンガ的だったため、一般読者から軽視されていた感がありますが、実は凄まじい画力の天才 自然物や魚のリアリティは言うに及ばず、動きの一瞬を描く(勿論、頭の中で考えて)構図の見事さと卓抜な表現力 「マンガの絵」を勉強している人は必見

8月8日は 僅か2年間の商業誌活動で大きな痕跡を残し、マンガのこれからの可能性を示しつつ 1984年に26歳という若さでこの世を去った かがみあきら先生の御命日 そのあまりにも早すぎる死がなければ、その後の漫画界の地図も変わっていたかも

#昭和はすごかった 漫画雑誌に 漫画家の住所が普通に載っていました (1970年代中盤~終わり頃にほぼ消滅)

定期的にツイートされている、1989年2月10日報知新聞に載った星新一先生の追悼文ですが 全文はこちらになります。 https://t.co/wtamFJLvuw

りんたろう「憂国」 漫画パンチ1970年12月22日号 16ページ この時期、虫プロでTVアニメ「ムーミン」のチーフディレクターだった、後のアニメ監督りんたろう先生の珍しい漫画 同年11月の三島事件に触発されたであろう、テロや革命をネタにしたナンセンス仕立てのアメコミ調作品

@h_yuzuki はい、あすな先生は作品タイトルも作者名も全てご自身の手描きだそうですが(漫画家になる前にデザイン会社に勤めていたのでお手の物だったのかも) 編集部が雑誌掲載時に勝手にタイトルを変更した例があり(「流れ星ひとつ」⇒「踊り子人形」)

#子供の頃の勘違いをあえて言おう テレビで放送されていた海外ドラマや洋画を観ながら 「何でこの外国人さんたちは、こんなにも日本語が上手いのだろう」 と不思議に思っていました。

今日、2月9日は 32年前に日本中の漫画関係者&漫画好きが(けして誇張でも何でもなく)驚きの声を上げた日。 それほど「手塚治虫先生がいなくなる」と言う(冷静に考えればいつか必ず来ると分る)瞬間を皆想像出来ていなかった。 画像は星新一先生怒りの追悼文の全文(1989年2月10日の報知新聞掲載)

ぱふ1982年5月号「新谷かおる特集号」より 30歳当時?の佐伯かよの先生の御尊顔

東大前刺傷事件の高2は(報道によれば)医者になるため東大を目指すも成績不振で自暴自棄になったとか 手塚治虫「ブラックジャック/三者三様」で、高校受験に失敗した少年に加藤清正が掛けた言葉を思い出します 「どうしてそんなに一流校にこだわるんだよ」 「医者になるだけが人生じゃないんだぜ」

2017年11月5日、ブックカフェ二十世紀(神保町)で催された、「みなもと太郎画業50周年記念原画展」最終日のスペシャルトークイベント「みなもと太郎×飯田耕一郎」の聴講リポートをUPさせていただきます。