70年代(だと思う)のたぶん別冊太陽の、ピンナップ絵画の歴史についての記事が出てきた。興味深いのが結びの文章で(落ち目のピンナップは)「生身の女性の写真に押されてお色気漫画の中で細々と余命をつないでいる」と。その末裔である萌えイラストがここまで殷賑を極めるとは想像できなかった模様。
『小学六年生』昭和25年11月号にフライシャーの『バッタくん町に行く』が紹介されてました。『虫くん街に行く』←本邦初公開時はこういうタイトルだったんでしょうか。ホピティがピョン助、ハニー・ビーがミツ子さん、ビーグリー・ビートルがカブト虫のデコ太郎だって。デコ太郎かよ。
うちに定期的に送られてくる「我が社の教材で勉強すれば学力アップですよお母さん!」な宣伝漫画見たら…。ええー?バーンって…80点だよ?立派なもんじゃないすか、お母さん!何怒ってんの?誉めてやってよ!100点じゃないとダメなの?ゲーム禁止なの?小学生の俺、涙目だよ!?
こういうのを「尊い」と言うのだな。
けっこう怖い話だと思う。
京都土産にいただいた国際マンガミュージアムのクリアファイル(画像は部分です)見て泣いちゃったよ。
若き頃も大御所になってからも「劇画家たるもの量産こそ命!」な、さいとう・たかを先生。(隣は水木先生ね)
昔の「アックス」より。福満しげゆき先生の見開きコラム。この回は「マンガ家としてデビューする方法」なんだけど本当にためになることが痒いところに手が届くように書いてあって当時大感心した。アシちゃんたちが全員このページコピーして行ったくらい。全文紹介したいけどそれもアレなんで序盤のみ。
無免許医だが良いことを言っている。
『黒いせぇるすまん』(←元タイトル)主人公の顔の仕掛けはみなもと太郎先生の指摘で初めて気がついた。