ただ前述のとおり「壁に描かれた絵と絵に描かれた自分と自分が描いた絵」っていうのは写真家を扱う上で一貫して存在し、もちろんドリアン・グレイの肖像的なものが頭をよぎってはいる

シャルル・ドルレアン(またはシャルル1世・ド・ヴァロワ。1394年11月24日 - 1465年1月5日)の「ロンド」より「季節が外套を脱ぎ捨てた/風と寒さと雨の外套/ そして刺繍を身につけた/澄んだあかるい光の刺繍」を黒さんの写真をみた白さんが連想したということ。おじいちゃんの教材であろう


ふと思い出した、うろ覚えの中国の昔話

なんか情報が錯綜してる人が多いからまた資料の探し方投げておきますね…。 参考文献は大事だけど元の本が間違ってる場合あてにならないことがあるぞ(全部同じ研究室の人の本が参考文献とか)。あと図書館で司書さんにきくのはよいぞ。日本語で探す場合を前提としています。

この手の話であと書いたのはこの辺

俺の好みの長髪はこれです

みんなこういうの好きなの?

唐突に墓守に対する解釈解像度が爆上がりした話

漢詩

リンボの話題のせいでにわかに知った「かつめし」というもののギャップと戦ってる ←想像したもの 実際→

イソとエマ

「もし誰か覚えている人がいたら、それはそれで素晴らしいことさ。自分が忘れてしまったことを覚えている人がいるなら……」

その上でちょっとこれも…… 難しいことをしないとだめとかは言いたくない、ほんとに言いたくない

写真家の宿酔の話なんですけど!!!!!!!! こうであってくれという気持ちがいまとまらない