度々上げている記事で装束の変遷に関わるので気になりますが、この右側のスタイルが終わって高松塚スタイルになったと見ていいんでしょうかねえ 女性の肩巾(領巾)もここで一度廃止されてて、古代の装束のイメージでは強いけど、案外実使用の場面限られてそうだなと思います。
三月一日に疫病流行は仏法のせい!と物部守屋と中臣勝海が奏上し、特に自分の意見の無い敏達天皇が「ほんまや、仏法やめよ」って言ったあとの記事でこの惨状です。崇仏論争でよく見る場面ですね。専ら仏像が捨てられたりする描写が多いですけど尼を鞭打つのもひどい…(馬子はなすがまま)
この兄弟絵をどちらかが出てくる度に上げているので見飽きてるかと思いますが、今回は左。 お父さんの嶋は急にどっかから湧いて出てきたような印象なのですが(失礼)、奈良時代の多治比氏はこの兄弟世代がピークですね。なんといっても遣唐使で活躍。