それからチョッキも含めて最近の人は尾錠を長く作りすぎる傾向があるが、後縫い目から先端が出る程度が昔の作り方である そもそも尾錠がある時点で余裕をもって裁断されている前提なのである


明治初期の時点では「平服」といえばモーニングやフロックのことであって、背広はまだフォーマルな場に受け入れられる存在ではなかった 繰り返しになるがこのころの(日本の)背広は背中を一枚布でとっている点に注意

@83_tl 何年か前にいろんな胸寸式のシステムを数式化して1インチ刻みで割り出してみたんです 脇幅についてみてみると杉山先生の値は1940年ごろと大差ありませんが石川先生の頃になるとだいぶちがっています

