出典
聖ヴォルフガングと悪魔(もしくは聖アウグスティヌスと悪魔) 15世紀の画家ミヒャエル・パッハー作。聖職者と悪魔が書を挟んで対峙している。聖職者は10世紀のレーゲンスブルク司教ヴォルフガングとも、ローマ末期のラテン教父であったヒッポのアウグスティヌスともされ、そろぞれ解釈が異なる。
ローマで甘味料として用いられていたのが、ぶどうの果汁を煮詰めたサバ(サパ)と呼ばれるシロップであり、これは鉛引きの銅鍋で煮込まれていた。酸化鉛と酢酸が反応して作られる酢酸鉛はそれ自体に甘味があるため、サバをふんだんに用いた富裕層に鉛中毒の者が多かったという説もある。
ねこ司教
ポーランド、シュチェチンの名物猫ガツェク(Gacek)貫禄がありすぎる。
17世紀、オスマン帝国で世界初の火薬ロケットによる飛行に成功したというラガリ・ハサン・チェレビの像。(サイコミュ高機動試験用ザクに似ている)
#一番似ている二人をアップした人が優勝
暴れん坊将軍、「実は高貴な身分だが下々と交流したい、剣の達人だけど実戦経験だけ不足していて、同情の余地もない悪人をドシドシ成敗したい」というのは、増えてきた高齢独身者層の願望を如実に表している…そして、この層は時代劇専門チャンネルに金払える。上手い。
鳥居元忠を討った鈴木重朝は、関ヶ原合戦後に旧知の伊達政宗に保護され、その後徳川家に仕官。水戸徳川家の重臣に列している。元忠の遺児忠政に元忠遺品の甲冑を返還しようとしたが「お家の名誉に」と贈与され、以後鈴木家では元忠の命日に床の間に飾って供養したという。 #どうする家康
小早川秀秋所用の猩々緋羅紗地違鎌模様陣羽織。背に縫い付けられた「違い鎌」は諏訪明神の神体であり、敵を薙ぎ倒す尚武の気風を表す。鮮やかな猩々緋地の羅紗陣羽織であり、戦国武将の戦陣装束をよく表す一品である。 (重要文化財、東京国立博物館所蔵)
大泉洋氏と、オスマン帝国第31代皇帝アブデュルメジト1世。
古代ローマの水道は、主要な導水路から各家庭や施設に分配される際に鉛や陶器の水道管が用いられた。しばしばローマ人の鉛害について水道が原因と語られることもあるが、ローマ水道は滞留せず絶え間なく流れ続け、また硬水は水道管内部に滞留物による隔壁を作ることから影響は小さかったと見られる。
ローマ人の鉛害に影響を及ぼしたとすれば、食生活によるものが大きいと思われる。甘味料の少なかった時代、蜂蜜と並んでブドウ果汁を煮詰めたサパ(sapa)は地中海世界で広く用いられたが、鉛糖(酢酸鉛)の甘味を加えるために鉛引きの鍋で煮詰められた。これが富裕層の鉛中毒に繋がったという。
古代から現代まで、あらゆる場所に遍在する阿部寛。