今月新刊が出た『プリンタニア・ニッポン』と『宙に参る』でどちらも四肢なんかの欠損に対して義肢と再生治療の選択肢があって前者の世界観では「脳が慣れればそっち(義肢)のが使いやすくなっちゃう」後者では義肢は一時的な処置で費用なんかの面でも再生のが一般と興味深い設定の対称性が観測された。
念の為確認なんだけどフィクションでときどき見るやつ、あくまでフィクションであって現実に着替え途中でこの状態になることはないってことでよろしい?
本編中に小説家の娘が存在しちゃってるな(肩車してるのは大御所のほうだと思われる)。俺が提唱するむんこユニバースの構造(共通舞台としての漠然とした『現在』とそれぞれの作品中で状況に変化が生じた『未来』)では存在できないはずなのに。困る。