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もしこっちに来たいならここをいつでも使っていいから、と一軒家を一部屋一部屋案内してもらった。シャワーもこたつもすぐに使える状態だった。前の住人が画家のおばあさんだったらしく、大きな油絵が何枚も飾ってあった。ここで暮らし始めたらどうなるだろう、と思いながら後ろをただついて回っていた
渋谷のネットカフェ、早朝の日比谷線の車内、上野の喫茶店、横浜桜木町の喫茶店、新宿ゴールデン街の立ち飲み屋で書いた原稿が、文庫になって手元に戻ってきました。生きてると、こんなに嬉しいこともあるんだなぁとしみじみ思いながら、ペラペラやってます。28日に発売します。お近くの書店まで何卒、
編集の人が「新潮文庫はツヤがないカバーじゃない?だから初回限定カバーはツヤがあって新鮮で私は好き」と言ってもらった。自分としても気に入ってる。ただ初回限定カバーを外し、新潮文庫のカバーをまじまじと眺めていたら感慨深い気持ちになった。自分より長生きするものになった気がして嬉しかった
何も納まらないけど一旦仕事の打ち上げを。社長に「お前なんで週刊 SPA!の連載なんてこんなに忙しいのにやってんだよ、なんでそんなに追い詰めんだ自分を」と焼酎お湯割りを飲みながら言われた。嬉しかった。毎週読んでくれてることが嬉しかった。心から褒めてほしい人が肉親以外にいる。それは嬉しい
左側が先に開いたら2019年は物凄い良い年になると心の中で賭けてしまう癖が治らない。結果がどっちだとしてもすぐ忘れてしまうところだけは、長所だと思いたい。
鴨さんが「昨日のトークイベントで言おうと思ってたんだけど」と歩きながらポツポツ話し始めた。「わかるっていうヤツはダメだよ。わかるって、わける、だもん。全部は繋がってると思う。何かをわかるってすぐ言うヤツはダメだよ」と心斎橋辺りを歩きながらずっと言ってた。鴨さん、昨日言ってよ、それ
自分の小説に「美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、幸せと呼びたい。」と書きました。ジグソーパズルの最後のピースをはめ込むみたいに、〆切最後の日にその言葉を小説にはめ込みました。昨日の大阪の夜はそんな幸せな夜でした。
そして舐められたとしてもまた働く。同じ場所に立つ。いつか舐められの向こう側に行くためにまた働く。まだ消耗してるの?なんて言われたら、消耗してねえよ、燃焼してんだよと答える。また不条理なメールが届く。でもやるんだよ、という言葉を思い出す。根も葉もある痛いことを突っ込まれる。でもやる
今日この仕事に就いて22年目?らしく、制作の人にお祝いしてもらった。22年の間に4回休職してる。一番ひどかった時は電車に乗れなくなり、社長がわざわざウチの最寄りの駅まで来てくれて、休みたい、と告げた。半年は休んだと思う。あの日のことはやけに鮮明に覚えてる。社長のおかげだと思ってる。
もしこっちに来たいならここをいつでも使っていいから、と一軒家を一部屋一部屋案内してもらった。シャワーもこたつもすぐに使える状態だった。前の住人が画家のおばあさんだったらしく、大きな油絵が何枚も飾ってあった。ここで暮らし始めたらどうなるだろう、と思いながら後ろをただついて回っていた
日々は時間の奪い合い。打合せの場所も偉い方が決める。強い方の近く。だから港区を行ったり来たりと今日も繰り返す。あともうちょっとで着きます、とメールを打ち込みながらパタパタ歩く。つら。鳥取県倉吉の写真を千代田線に乗りながらチラ見。大昔の記憶のように感じて寂しい。みんな元気だろうか。
映画を観終わって、そのまま映画館の売店でサントラを買ってしまった。久しぶりにCDを買った。久しぶりに外側の紙を、ケースの内側に挟んだ。
花見だってしたい、という一文を含んだメールを送っただけなのに、桜は去年も見たじゃないですか、という衝撃的な返答と納期が記されたメールが届いた。この瞬間働いてるすべての皆様に幸あれ