解剖学は人体の描き手として実用にして必須の知識であった。今、絵画修業において人物や動物を描く写実画家として立つつもりかあるいはその筋のマンガを描くのでなければとくに用をなさないとはいえるのだろうか?少なくともその習得は絵の良し悪しには全く関係ないともされるだろう。
エドワード・ホッパーの制作ノート。律儀。この時点で本画のクオリティが保証されているかのよう。
ロバート・スミッソンのドローイングを探る。
欧米のネオクラシカルというかアカデミック ドローイングのメソッドのBlock inという概念、日本式のデッサンだとまさにその概念が抜け落ちていると思える。
ロシア式デッサン、興味深い(他意はない)。
「静物画」を体系的に論じた本というと、これしか知らない。
アングルのデッサンって、トーン?なにそれ?といわんばかりの感じあるよな。どこまでも線主体のデッサン。ドガに「たくさん線を引きなさい」とアドヴァイスしたのも肯ける。
ロシアのアカデミックドローイングを見ていると"凡庸"の質量ということを考えてしまう。凡庸のレベルの高さとその蓄積の分厚さ。
(前掲のデッサンからスタートして)私が予備校でいかにして石膏デッサンが下手に(苦手に)なっていったか。