国内自転車メーカーのほぼ全てが【入門用ランドナー】を、5万円前後でラインナップしていて、旅に出たい自転車少年はまずここから選べた。 普通の自転車が4万円してた時代ですから、それほど割高でも無い。 今より遥かにランドナーが身近だったんです。 https://t.co/Oj7DGsHWcv
例のコレ 若い子から「絵描きがいらなくなるー」なんて悲鳴が聞こえて来る。 考えたのだが、それって【自分の絵がこういう絵柄】であればあるほど、もう俺がいらなくなるー なのか? これの拡張性がどの程度かにもよるか。 つまりこれで刃牙みたいなのとか、クレヨンしんちゃんって出来るのか。
それは今までの版権処理仕事が、全部そのスタンスだったので。 依頼が来れば描く。 「描けません」は、言わない。 フリーの絵描きはそういうモンだ。 それで駄目なら駄目で 何とか改良しよう。 とにかくカタチにしないと自分自身が分からない。 「七味撫子うのん」開店です。
一応「アニメVの読者層に寄せて」 うのんは変身少女なんですが コスチュームデザインは 【和の着物+セーラー服+うどんのイメージ】です。 でも本当に「売り」にしたかったのは、普段着の前掛け付き和服。 地味だけどね。
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。