ふじたゆきひさサンと言えば【模型のモ子ちゃん】だが 魔物ハンター妖子のガレージキットの組み立て説明図は全て ふじたゆきひさサンの手によるものだ。 なんて贅沢。 とても丁寧で見やすく分かりやすい。
僕はこれを「下積み」とか「苦労話」とは微塵も思ってません。 出来ない自分を何とかするだけです。 とにかく入社までに動画のクリーンナップは出来るようになっておく。 それが自分に課した最低限度の仕込みです。 これではまだまだです。
42歳のときに 「10年後にまだ描いてるかなー」と思ってたら 普通に描いてた 52歳のときに 「10年後にまだ描いてるかなー」と思ってたら 62歳の今も普通に描いている。 絵描きに定年は無いけど、また10年後を目指そう。
だから、まず作品の企画 構成において そういう大人を 男を描きたいと思わない限り、いくら見た目が杉野キャラでも 【器作って魂入れず】でしか無い。 設定上、年くっただけのオッサンじゃ足りないんだ。
どんなに原画が上手くて、杉野昭夫さんの修正が天才的でも 【その感情を吸い取れずに、ただ線を引いただけではブチ壊し】だからです。 原画の魂を殺さずに、動画まで仕上げる。 これ無くして「出崎・杉野アニメ」は完成しません。 そのための500枚。 動画を舐めるな。
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。