だから【二度目の人生アニメーター】劇中作として「刃物ハンターヨウコ」を描くのはセルフパロディになってしまう。 自分で蛇足を描くのか? …ならば 実はこれがアニメでやりたかった「僕の妖子」 今更、後だしジャンケンと言われてもね。 だからライゴウをもう一度出したのです。
【魔物ハンター妖子】の中の【魔物】って何でしょう? 僕はアニメやゲームの妖子の中で、これがずっと疑問でした。 単に悪霊とか異形の物としか描かれない。 それでは弱いだろう。 【なぜ魔物として生まれたのか】 ここをちゃんと漫画版では描きたかった。 正義の名のもとに剣を振れない妖子を。
だいぶ前に久米宏さんが、何かのラジオで「今月、親父の歳を越えた。 親父の歳までは生きていようと思ってた」なんて仰ってて そんなモンかなー なんて聴いてたけど。 僕はあと10年で、親父の死んだ歳になる。 それまでは現役で仕事してたいな…なんて気がして来た。 縁起でもない?
今は「今風の絵」を描こうとしたら、沢山の手引き書がある。 その通りに描けば、誰でも「今風の絵」を手に入れることが出来るだろう。 どんどん上達する自分が嬉しい。 さて そこからだ。 今風の絵が描けるようになって 【それをどうする?】 俺たちの戦いは始まったばかりだ(定番)
こいつは凄い。 【地殻変動機】 この先、どんなストーリーになるのか これだけでもワクワクしてくる。 地球全体の改造計画だ。 ファンタジー世界の勝者が誰かなんて、小さい小さい(^_^;) https://t.co/2tBj6i2Zii
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。