22年も自転車漫画を描いていると 時々、本当に奇跡のような「出会い」をする事がある。 まるで自転車の神様が 『宮尾オマエ これ描け』と、天からつぶやいたように。 自転車は、人とヒトを連れてくる。 行き先を決める前輪と 漕ぎ出していく後輪と ヒトが絡んで始めて 奇跡が生まれるんだ。
妖子のメディアミックス展開は1994年で一応の完了をみた。 もう僕は妖子を描く事は無い。 その頃僕は、妖子の反省から企画から全てオリジナルの漫画を描き始めていた。 アニメにはならないが、うのんもジュビリィも「全部僕のだ」
ここの景色は30年 ほとんど変わっていない。 井の頭線の車輌デザインが代わったくらいで。 井の頭公園駅を降りて、出口から左に歩いてゆけば、坂を登って 下りていきます。 少し待ってれば井の頭線の電車が通る。 妖子の聖地巡礼?なさりたい方はどうぞ。
はい! 【二度目の人生アニメーター】最新話 更新しています。 ファイナルまであと1話! オメガ・エリアのクライマックスに多田くんの選んだ明日とは あの! そしてそしてファイナル配信は急遽【4月1日に決定!】 なんとその前日発売OURSの【アオバ自転車店でも何かが起きる!】
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。