季刊ファントーシュ なんてもう 誰も知らないかもだが アニメージュ創刊以前 情報に餓えていた70年代アニメファンには、とても貴重な本だった。 一応、一般書店で売ってたし。 更に前なら【FILM1/24】があったが、恐ろしくマニアックな本で一般にも買いにくかった。
うわあ! 記憶の中から、スッポリと抜け落ちてたよコレ。 オファー受けた時に「これはビートラスのSDでヨロシイか?」なので、そんなに悩まなかった。 もちろん当時だから全部セル画おこしです。 ビートラスで得たスキルは色々と役に立つ(^_^;)
時は1987年 新幹線の食堂車(!)では、あるお土産を売っていた。 新幹線3両が、ステーショナリーになるセット。 製造はバンダイ。 流石に良く出来てる。 箱の裏はその頃の日本食堂のお姉さんキャラが花を添えて… あれ?(^_^;)
不意に思い出した。 文月今日子先生の短編 『パフ』 この扉絵だけで、もうノックアウトなんですが。 枠線の白線 ただの白線じゃ無い。 内側に点描のグラデーション(もちろん手描き) ストーリーは、あえて何も説明しない。 こんな短編が描けるようになりたいと強烈に憧れた18歳だった。
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
時は1987年 新幹線の食堂車(!)では、あるお土産を売っていた。 新幹線3両が、ステーショナリーになるセット。 製造はバンダイ。 流石に良く出来てる。 箱の裏はその頃の日本食堂のお姉さんキャラが花を添えて… あれ?(^_^;)
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。
「商品化されると絵のレベルが落ちる」 今の人にはピンと来ないかもね。 はい、これら全部「アルプスの少女ハイジ」の公式商品だ。 最初のレコードだけキャラクターデザインの小田部さんが描かれてる。 あとはご覧の通り。 あの時代は…