告知が遅い!(^_^;) 現在発売中のOURS4月号のアオバは特別企画 【能登半島地震緊急レポ】です。 日本のビーチクルーザー文化を牽引して来た、津幡タカヨシさんのコラソン本社の倉庫が壊滅的な打撃を受けました。 また何も先が見えない。 でも、描くのなら今しか無い。
『並木橋通りアオバ自転車店』は、連載開始当時巻頭4ページは2色カラー …なんだけど、実は原稿は4色フルカラーでした。 単行本収録時はモノクロなので、なんでそんな馬鹿なことをなんですが… 【水色の自転車や空を、グレーで塗りたくなかったんじゃあっ】 いつか見てもらえる日が来るかも
チヅルさんの自転車は実在しない。 これは僕が【某社にフルオーダー出来るのならこういうのを作ってほしい】と妄想したもの。 直線では無くゆるいカーブのダウンチューブ。 細い2本のWステーを、リアエンドに繋げずに曲げて戻し、ドレスガードも兼ねている。 地味だけど手間がかかるー。
貸人屋 1/7
「はだしのゲン」のアニメーションは、当時働いていたアニメスタジオでも動画の手伝いをした。 最初キャラ表だけ見た時に「なんだか明るく丸くなっちゃったなあ 大丈夫かなあ」と思ったが、作画が始まったらそれどころでは無かった。 中割りしてる動画が辛くて吐いた。 https://t.co/QZKS0vskUs
ちょうど最新号のアオバ内で、五六七八のオヤジさんのセリフで語ってますが 【昭和のだから直せる】とは【直せるような設計と部品で出来ている】です。 1万円の自転車は、【壊れたら直せない】所が沢山あります。 特にフレームと回転部分。 亀裂や破損が入ったら捨てるしかない。交換出来ないんです
1976年秋の学園祭用に作った【宇宙戦艦ヤマト紙しばい】 これは、強力な協力者の彼女の大量ヤマト写真が無ければ、絶対に実現しなかった。 彼女は【ヤマトの再放送をカメラで撮る】をしてくれてたのだ。 この時代、ホームビデオなんてものは僕らの周りには無い。 アニメ雑誌も無い。
モスピーダのライドアーマー透視図の、原画記事を発掘できた。 もう一度描けと言われたら逃げる。
押し入れ発掘 お宝出て来た。 【家なき子 宝島の 杉野昭夫さんの修正原画】です。 アニメーター1年生で、これをクリーンナップしなくてはならなかった。 この線を殺してはいけない。 それが絶対条件だ。
僕の記憶では1960年の 手塚治虫先生の「エンゼルの丘」に出て来るチャーとベターでしょうか。 メガネで人魚で双子で殺し屋という、最初期にして「全部盛り」
#あれ実は私なんです 僕のところへ訪れる人なら、僕の80〜90年代の版権処理仕事はほとんどが【あれ実は私】なのがお分かりでしょう。 版権仕事には、基本「誰か描いたのか」はクレジットされない。 それが当たり前です。 でも、それが発想のきっかけになって 後の赤チャイナの娘になったりします。