昨日の続き。吾妻先生の予告カットが載ってたサンデー70年9月27日号。桜多吾作先生が週刊少年誌時代のペンネーム北川寛で連載してる。『マッドマッドケイ』セクシーギャグアクション(多いな)。何回くらいの連載だったのかな。もちろんマジンガーのコミカライズ前だけど作風はもうほぼ完成されてる。
昨日のさらに続き。70年末の少年マガジン。もう『ぼくらマガジン』も創刊して子供はそっちを読め、と。こっちは完全に青年誌の態。子供の頃の自分はなんとなく憧れつつ、やっぱり夢中になって読むものは少なかった。今改めて読むと「どこに行こうというのか」って感じ。
さらに続く→最後に。すっかりヤング誌に移行した、と呟いたマガジンですがそれでもこんなTVの広告が載ってたり、大伴昌司企画の野田コレクション紹介や世界の原潜写真を紹介する真面目な記事に混じって「未来の海底戦争はこうなる!」と言った往年のテイストがギリギリ生き残ってる記事が(続)
うちに定期的に送られてくる「我が社の教材で勉強すれば学力アップですよお母さん!」な宣伝漫画見たら…。ええー?バーンって…80点だよ?立派なもんじゃないすか、お母さん!何怒ってんの?誉めてやってよ!100点じゃないとダメなの?ゲーム禁止なの?小学生の俺、涙目だよ!?
こういうのを「尊い」と言うのだな。
京都土産にいただいた国際マンガミュージアムのクリアファイル(画像は部分です)見て泣いちゃったよ。
若き頃も大御所になってからも「劇画家たるもの量産こそ命!」な、さいとう・たかを先生。(隣は水木先生ね)
昔の「アックス」より。福満しげゆき先生の見開きコラム。この回は「マンガ家としてデビューする方法」なんだけど本当にためになることが痒いところに手が届くように書いてあって当時大感心した。アシちゃんたちが全員このページコピーして行ったくらい。全文紹介したいけどそれもアレなんで序盤のみ。
無免許医だが良いことを言っている。
『黒いせぇるすまん』(←元タイトル)主人公の顔の仕掛けはみなもと太郎先生の指摘で初めて気がついた。
黒い太枠やハイコンな写真もそうだけどA先生の漫画読み返すと次々と前衛的な表現が「発明」されててすごい。