弁護士ドットコムの動画ニュース、驚く事にあの!献花に並んだ人々が1人も(!)写ってない😱殆ど見なかった反対デモと犯人コスしかいない。しかも目撃したデモ隊やコスはアジア系留学生が多かったけど、その事にも触れず勿論テロコスへの批判も一切ない。 本物の弁護士いるの? https://t.co/85BmFbLKkf https://t.co/dHUbFN5HSc


私も同じ御朱印をあの日に買いました🍁秋限定の御朱印、対馬にも届いたんですね🍂刺繍が綺麗🍁✨思えば整理券も大事に取っておけば良かった😭 お花抱えて皆で並んだ事を、何年経っても忘れないだろうな…。 https://t.co/vERGxPgIAA


小さい頃は人の輪に入るのが苦手で、入れたと思ったらハシャギ過ぎたり気を使い過ぎたり…でも一生懸命友達になろうとしてた。今読み返すとそんな記憶が蘇る。自分がお化けか人間かも区別つかなかった頃 夢やしきへようこそ / 1巻丸々無料版からどうぞ https://t.co/3PAIoUZccM





マンガも、もう手描きで着物柄を描く人は殆どいないと言われてる これは私やアシさんが金彩模様などを参考に描いた柄 ①の背景の彼岸花も別のアシさんの手描き点描コピー デジタルで何でも描ける時代だけど、自分の手で金彩の美しい色彩感を紙面に再現できた時の喜びは絵を描く原点のように思える

イスラエル🇮🇱でワクチン接種した人の方が重症化したとのニュース、シンプソンのパラドックスと言うそうですが、不安になられた方もいると思うので漫画にして見ました。翻訳ご協力と参考資料はリプに。ワクチン打とうか悩んでる方、良かったら読んでやって下さい。雑な手描きですが🙇♀️

「農夫」「百姓」もダメで「農家のおかみさん」でやっとOK 「八百屋」がダメで「青果店」 「床屋」がダメで「理髪店」 「うら若い乙女」も何故かダメで「女子高生」に 表現規制はいつからか苦情を言われないために先んじて表現を狭めるものとなりました それがまた禁止表現を増やす悪循環に😢

私は長年、京都や浅草を取材し京都六花街の別格ぶりも見聞しました。一部の掟破りの話が肥大化して伝統を食い尽くす事を恐れます。何より漫画も小説も「嘘が上手ければ描ける」世界ではありません。真実を懸命に取材した上で物語を構築します。↓江戸の話ですが宣伝兼ねて🙇♀️ https://t.co/hC4gsDc9Na

「ストーリー311」元東電社員吉川さん @syokora1026 から伺ったお話。私も非難されるからと何度も止めて下さり、それでも描きたいとお願いしてからは仕事場まで見に来て励ましてくれました。廊下で寝てる風に描いてたら暗闇だから人を踏まないよう各自机の下で寝ていたと。全てがリアルでした ↓1/3

当時の記事お借りします。注目すべきは「山岸先生とララ編集長の反論」まである事。後日、著者関係者の談話も事実ではなかったと小さく謝罪。法隆寺や白泉社にどれ程の抗議が行ったか、未だ多くの人々が誤解を引きずったままか、その後のM新聞は一切取材していません。 https://t.co/oFHcUrBHgu

#東京大空襲 先ず町の周囲をドーナツ型に焼き、その中を碁盤の目状に焼き、その1マス1マスを丹念に焼き尽くす正に屠殺でした。これ程の短時間で、これ程の民間人が虐殺された例は他にありません。 私は巴里夫先生の「愛と炎 東京大空襲」で知りました。虐殺を指揮したルメイが後に勲章を授かった事も

小学館…私も初ファンレターが編集部から届いたのは2年後でした。元教師から転身と書いた私に中三の悩み相談で、もう高校生になったその方に詫びながらお返事書いたのを覚えてます。掲載号も送られず毎回自分で買ってたら担当のミスでした。手紙捨てる人もいたでしょうね…。

原発事故で子供の頃から恐れてた「放射能で人類滅亡が現実に?」😱と恐怖で必死に調べたら1960〜70年代は核実験で今の千〜1万倍だったと知って、全ての恐怖立ち消えてアシさんとオヤツ食べましたよ…。幼少期ずっと1万倍浴びてても病気一つせず、元気な年寄りになれたから皆さん安心してね🤗💕

プルシェンコ「地球上で3アクセルを飛べる女子は真央だけなのに、3アクセルも4回転も飛べないキム・ヨナに真央を遥かに上回る得点が出たならそれはもう地球人の得点じゃないね」👈銀河点の語源 ヨナ批判すると差別、マオタと叩かれたけど真央ちゃん関係なく他の優秀な選手達も順位落ち可哀想だった

ラスト。9頁ではとても描ききれない沢山の貴重なお話を取材した全ての方々から伺いました。もう一度長編で詳しく描きたくて出版社に持ち込んでは断られてばかり。いつか発表出来る日が来ると信じ少しだけ描き貯めてます。ストーリー311は印税の全てを被災地に寄付しています https://t.co/pCoM4JyF3V

本田さんが一次資料と挙げられたジョン・ラーべの日記等は矛盾が多く疑問視されています。真の一次資料は実際に入城していた人々の声だと思います。私の義叔父は 「南京の街は普通やったで。皆露天で商売しとったで」 「南京大虐殺らてあんなもん嘘ウソ、ワシそこにいてたもん」と話していました。