元輔は賀茂祭の奉幣使を務めた際に落馬し、冠が滑り落ちて禿頭が露わになった。夕日を浴び禿頭が輝く様を周囲の者が笑うと、元輔は脱げ落ちた冠を被ろうともせずに、落馬して冠を落とした人々の例を挙げては弁解して歩き、一同はさらに面白がった。剽軽な人柄で、人を笑わせることを役目としていた。
ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは (小倉百人一首、42番) 清原元輔の歌人としての名は非常に高く、後に娘の清少納言が女房勤めした際に「父の名を辱めたくないので歌は詠まない」と言って許されたという。
元微之 名は元稹。唐の政治家、詩人。白居易(白楽天)の親友であり、元白と並び称された。和答に次韻という形式を創造し「元和体」または「元白体」として一世を風靡した。 #光る君へ
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