ある日なにげない会話から「ぴゅう太」を遊ぶ流れに。このとき「ぴゅう太」発売からおそらく2、3年? かなり古いゲームを遊ばせてもらったという感覚でした。コントローラーがファミコンと違ってて難儀した気がします。
Eちゃんとファミコン話をしたのは数少なかったはずなのに、こんなどうでもいいことを覚えていて、だのに最近のあらゆることを忘れまくる脳め……。あ、妹ちゃんの名前は思い出せなかったです^_^;
『スーパーマリオブラザーズ』のことを私の近辺はみんな『スパマリ』と呼んでて、後に『スーマリ』という略称を聞いてぶったまげました。そのことを思い出していたら、関連でふと思い出した話。
娘との交換絵日記、2日で途絶えました……w これには大佐もビックリ! だと思う。 #娘との交換絵日記をゲーセンノートと勘違いするオタク
ぱっと見てスグわかって、感動した。そのデザインたるや。
人生「このゲームの影響でこんな良いことがあった」は思い返せばたくさんあるけど、「おかげで1人でお手洗い行けるようになった」は、その後の人生に及ぼす影響尋常じゃなかったです。 今だからネタにできるようなものの、当時は人知れずずっと悩んでたので。
なんでそんなにマヌケなの? って今は思うけど、当時は今以上にふわふわしてたし、情報の得方がわからなかったんですよねー。ファミコンは持ってる友達居たけど、MSX持ってる級友ができるのは暫く後のことでした。
今までもこれからも粛々と。
秋葉原ゲーセンをハシゴする日は「へい行ってくる」って出掛けるんですけど、娘、さては「へい」が分かってないな。と思いました。
都内某区の公立中学校でも、リモート授業っぽいのが始まりました。