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蔵島 周
@amane_kura
日露戦争時の日本陸軍を題材にイラスト/漫画を描いています。話題は当時の軍装や戦闘、戦場での様子が中心。時々、明治時代の兵営生活や故郷の師団である旧陸軍第七師団/屯田兵についても呟きます。衛生部員好き。
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蔵島 周
@amane_kura
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4年前
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兵卒が濃紺色のままならば指揮官が茶褐色だと悪目立ちするため、あえて黒色を着続ける将校もいたのかもしれません。ちなみに将校が黒の軍袴の上に異なる色の軍衣を組み合わせるのを一部ではロシアンスタイルと呼んでいたらしく実際本物の露軍と間違われ味方打ちされたこともあったそう。右が露軍(夏衣)
蔵島 周
@amane_kura
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3年前
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解説です。 なお、漫画の舞台である明治37年11月下旬の203高地は、朝晩は氷点下まで冷え込む日もありました。
蔵島 周
@amane_kura
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4年前
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美人絵葉書の一例 1枚目と2枚目は日露戦争期のものです。看護婦さんは本物ではなくコスプレです。 3枚目は大正期のものですが、当時の特徴的な縞模様の水着(通称シマウマ)を着用した美人絵葉書は、日露戦争期からありました。
蔵島 周
@amane_kura
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3年前
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屯田騎兵は特科隊である美唄(びばい)屯田兵村の屯田騎兵隊のみです。乗馬歩兵隊の隊長については旧屯田騎兵から選抜されました。
蔵島 周
@amane_kura
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4年前
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参考にしたのは日露戦争の従軍記者が描いた連絡兵の絵です。このような目立つ姿で弾雨の中を闊歩すると当然危険なのですが、実際にまるで弾のほうから避けているかのように全く被弾しない強運な人はいたそうです。 右の写真は当時の正式な担銃の姿勢。
蔵島 周
@amane_kura
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3年前
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色々詰め込みすぎてしまったので漫画に補足を加えてみました。手擲爆弾は後の手榴弾です。投石戦や爆弾戦については、余力があれば後日まとめます。
蔵島 周
@amane_kura
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5年前
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ありがとうございます! 自分もこのスタイルがとても好きで、ずっとイラストにしてみたいと思っていました。 この時代は、肋骨服の形や着こなしにバリエーションがあって楽しいですね。 https://t.co/4pcLOPC1gX
蔵島 周
@amane_kura
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5年前
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深長靴と半長靴を履いた歩兵軍曹👢 日露戦役中に撮られた後備歩兵第九聯隊の人たち写真です。長靴、特に深長靴を履いた歩兵の写真は珍しいんじゃないかと思います。
蔵島 周
@amane_kura
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5年前
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繃帯嚢は明治32年に従来の黒革製から麻製に変更されました。よって日露戦争では32年式が使われているはずですが、戦地の写真を見るとまた違った繃帯嚢を持っています。改正の記録も無く詳細は不明ですが、絵では戦地型を採用しました。理由は32年式の肩紐の構造が理解できず描ききれなかったから…。
蔵島 周
@amane_kura
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5年前
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准陸軍尉官の写真。左肘に北辰形の徽章が見えます。この人は制式通りの着装ですが、古写真を見ていると、人によって徽章を大きくしたり小さくしたり、袖章に被らないよう位置を高めにしたり低めにしたりで、実際はそこまで制式に忠実でなくても良かったようです。右は開拓使が使用した旗の1つ。
蔵島 周
@amane_kura
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5年前
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読みやすいうえ、当時の兵営の様子が垣間見れて面白い。何より挿絵に味があって好き。
蔵島 周
@amane_kura
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5年前
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おまけ 声を出して捜索活動をする場合は、こんな感じになります。
蔵島 周
@amane_kura
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5年前
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明治28年改正に関する陸達と官報です。
蔵島 周
@amane_kura
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5年前
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負傷者が続出した203高地や赤坂山で大活躍した急増担架、通称「もっこ型担架」。蓆(むしろ)を半分に折ったものが座席になっています。 狭く非常に混雑した坑路では、正規の担架で負傷者を搬送するのに困難が多かったようです。そのため、軽くて小回りが利くこのような急造担架が重宝されました。
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