エルンスト・ヘッケルの『自然の芸術的形態』。この本の刊行が1899年〜1904年で、おっと思ったらやはりフロイトと関連が深かった。フロイトがヘッケル博士の影響を受けているらしい。


浅井忠における漫画表現を改めて見てみる。吾輩は猫であるの挿絵と黙語日本画集より。近代以前の和画、ことに南画的なものとともにナビ派/アールヌーヴォーを思わせもする。またこの流れはひょっとしてサザエさんに受け継がれているのではという気もする。




自分が70年代末から80年代初頭にかけて美大予備校で受けた反アカデミック教育は同世代の人にとってさえ異質なのかもしれず、到底一般化は無理なのだとして、当時講師がこれを読めと一番最初に貸してくれた本が篠原有司男の『前衛への道』だったといったら少しは分かってもらえるだろうか。




フランス19世紀におけるデッサンの虎の巻たるバルグ・メソッド、デッサン講座に取り入れ始めたのが8年ほど前なのだけど、ここへ来て正面切って、教室の基本カリキュラムに据えることにした。初学者の導入門として本当によく出来たメソッドだとつくづく感心する。

エドワード・ホッパーの制作ノート。律儀。この時点で本画のクオリティが保証されているかのよう。

ロバート・スミッソンのドローイングを探る。

欧米のネオクラシカルというかアカデミック ドローイングのメソッドのBlock inという概念、日本式のデッサンだとまさにその概念が抜け落ちていると思える。

ロシア式デッサン、興味深い(他意はない)。

「静物画」を体系的に論じた本というと、これしか知らない。

アングルのデッサンって、トーン?なにそれ?といわんばかりの感じあるよな。どこまでも線主体のデッサン。ドガに「たくさん線を引きなさい」とアドヴァイスしたのも肯ける。

ロシアのアカデミックドローイングを見ていると"凡庸"の質量ということを考えてしまう。凡庸のレベルの高さとその蓄積の分厚さ。

(前掲のデッサンからスタートして)私が予備校でいかにして石膏デッサンが下手に(苦手に)なっていったか。

これは実際、モダニズムですよね。この合理化、メソッドとして習得すれば、誰でも描けますよというのはモダニズム以外のなにものでもない。

「体」の旧字は「體」であって、昔の「日本人はとにかく骨を重視したという話をよく聞くが、現代日本の受験デッサンでは人体における骨(骨格)の意識がとにかく弱いように思える。 (画像はロシアのアカデミックドローイング)

サージェントの描くプロフィール、線へのこだわり。